2009年~2010年の佐藤学を形容するとこうだ。
オフィシャルハラスメント。
1980年12月4日、三軒茶屋にてこの世界にエントリーされたしまった佐藤学。
恐らくもう少し住み心地の良い場所があったであろうはともかく後の
四谷OUTBREAK!副店長誕生の瞬間のご両親の歓喜の様子を伺いたかったものだ。
一体この日何を生んでしまったのか。
教師×看護婦=佐藤学という音楽一家のようなサラブレッドでもなんでもない
一般的な家庭に分類されるはずの環境で育った青年はいかにして事ここに至ったのか。
四谷OUTBREAK!が始まり2年目の夏だった。
泥酔した上に全裸でフロアを転げ回りあらゆるモノを燃やし尽くした佐藤学は喧騒を気にすること事なく叫んでいた。
「俺ぁロックスターになりたかったんだ、バカ野郎!!」
魂を聞いた。
当時から付き合いもそこそこ深かったはずだがこの時ばかりは少し心に響いてしまった。
高校在学中からバンドでの未来を志し、卒業後はそれこそ血肉を注ぎバンドに命を賭けていたのであった。
ピーク時には今は閉店してしまった恵比寿みるくの地下2階会場から地下1階までの階段を
ビッシリと埋め尽くしたオーディエンスの海を泳ぎきった逸話がある程だ。
しかしその後バンドはあえなく解散、そして浅草サンバカーニバルで
ナンパした女性とデキ婚→離婚という脚本家の卵がまず最初に書きそうなメロドラマ仕立ての時間に生きていた。
混沌。
それからいくらかの時を経ていつもはキグルミを何重にも着込みどこから
どう剥かれても面白いように振舞っていた四谷OUTBREAK!副店長佐藤学。
形こそ違えど佐藤学は変わらず音楽に身を捧げ、四谷という辺境の地にRockCity王国を築いていた。
そして佐藤学率いるロックンロールサービスという草野球ロックバンドに誘われて参加。
このバンドも結成から4年だが、持参してくる曲全てがどうもどこかで聴いたフレーズのオンパレード。
これを本当にやるのか。
どこかのギターヒーロー発祥の反吐が出そうなくらい手垢のついたものばかりやりたがる。
バックボーンを知っているだけにそれはまさにオフィシャルハラスメントそのものであった。
酷い、恥ずかしい、これを本当に人前でやるのか。
もしかして・・・この人・・・まだ・・・!?
2010年にそれはさらに加速し、ふと思い出した。
あぁ、そういえば叫んでたな。
「俺ぁロックスターになりたかったんだ、バカ野朗!!」
そしてこの殺し文句を毎年開催されるようになり恒例化してしまった聖誕祭の冠に頂いた。
しかし今年は6日間開催。
最終日の人間魚拓というキーワードも存在する中、祝われるがままでもよろしい我の誕生日に
わざわざ心血を注ぎ込みその身を削ってエンターテイメントを体現する事でしか
表現出来ない佐藤学という人と成りのなんと皮肉な事か。
四谷に片足、いや首まで浸かってしまったからには可能な限り最後まで付き合おう。
フロントマン佐藤学、声高らかに喉が千切れる程に叫べ。
そして思いを誰かに伝えてくれ。
あの時のように。
「ロックスター」
--------
11/29~12/4
今夜、四谷の地下室で。
佐藤"boone"学 生誕記念祭 6DAYS
各日詳細はこちらから
http://yotsuyaoutbreak.seesaa.net/category/8571202-1.html http://yotsuyaoutbreak.seesaa.net/category/8571205-1.html